2005年11月27日

★2005年11月第4週

[11月27日 マウンテンバイクは自由になれる道具だと実感]
(1)博物館便り
先週19日(土)、20(日)はインテックス大阪という展示会場で「サイクルモードインターナショナル 2005」という自転車ショーが開かれて、私も19日に見学と各社のパンフレットを資料として収集してきた。会場は展示ブースと試乗コースが納まる関係もあり大変混雑して熱気ムンムン、悪くいえば夜店の屋台の雑踏を歩くイメージだ。各ブースの面積も狭く、ゆっくり見ていられない。大阪にこんなにも多くの自転車ファンがいる事を実感できて嬉しかったが、十分なスペースの会場確保は今後の課題だろう。
また私は入場券をもらってロードバイクで出掛けたのだが、会場には自転車置場がなかった。 チラシ等には自転車置場がないと告知されていたようだが、自転車のイベントに自転車で行けないとは不可解だ。思い切って会場を広く取り、展示会場の一角に入場者用屋内自転車置場を作ってもらいたいと思った。
キャノンデールのブースでシール・エミコさんに会った。 夫のスティーブ氏と彼女はキャノンデールのサポートを受けて世界一周の旅を続けている。5年前にパキスタンで癌に倒れ、4年間の闘病生活の末2004年12月に夢に向って世界一周の旅を再開した。ただ医師から3ヶ月の期限付きの旅としての再開で、今年も12月17日から来年3月16日までの3ヶ月の旅は、インド タージマハルからネパールのカトマンズまでの予定だ。彼等の夢の実現は私のものでもありたいと考え、私も渡航費用の一部にとカンパをしました。








会場でのシール・エミコさんとの記念写真
(2)通勤サイクリング
23日の勤労感謝の日の翌日は博物館の休館日だ。
12月と1月に初級と中級のマウンテンバイクツーリングを開催するので、そのコースを捜すため 堺市 の南部の丘陵地帯を MTB で走ってきた。
久しぶりの MTB でのダートコース走行は新鮮だった。いつも通勤サイクリングで自動車と格闘しながら?走っているのに比べ、排ガスや騒音からも開放されていた。中級のコースとして考えたコースは静かな道を登り、シングルトラックと呼ばれる自転車1台がやっと通れる道をスリリングに下った。俗世界から隔離された世界に入り込んでとても楽しめた。「自転車は自由になれる道具だ」と言った MTB 界の巨人トム・リッチーの言葉を思い出した。
コース試走は通勤サイクリングにも使っているサスペンションが全くない初期のマウンテンバイクだったが、サスペンション付ならもっと楽しめるだろう。
初級ツーリングは12月4日(日)午前中にマウンテンバイクのライディングスクールと川沿いのフラットなダートコースをゆっくり走ります。
中級ツーリングは1月22日(日)午前中に先程のシングルトラックの下りが楽しめるコースを用意しました。関心のある方はご参加ください。  (中村博司)

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2005年11月20日

★2005年11月第3週

[11月20日 おきなわ120kmは完走できませんでした。]
(1)博物館便り

11月17日 午後3時台に約30分間、ラジオの生放送に協力した。
ラジオ大阪の「NEWS ワンダーランド」という番組である。「情報が面白い」というコンセプトでラジオリスナーの視点でバラエティー感覚を大事にしている。
吉本興業の漫才タレントである里見まさとさんがパーソナリティー、アシスタントは阿部宏美さんという魅力的な女性であった。
最近話題になっている自転車通勤について話をしてほしいとゲストに招いていただいたのである。里見さんも環境問題に関心が高く、自転車通勤について自分も始めたいと考えて具体的質問が多く、私も回答に熱が入った。
約30分間位話をしたと思うけれど、「自転車の魅力」「自転車通勤を始めるための準備」「雨対策」「自転車が歩道を走るときのマナールール」について話をした。
放送局の防音室の大きなテーブルにはマイクがありリラックスして話をしたつもりでしたが、あとで録音テープを聞くと、私の話が少々早口で聞きづらいものになっていてまた反省です。








放送室での記念写真です。

(2)通勤サイクリング便り
先週13日(日)にツールドおきなわ120kmのレースを走ってきました。 当日は断続的に豪雨のレースになりました。
朝7時に日航のオクマリゾートを雨の中をバスで普久川ダムのスタート地点へ向う。
バスの中で1人で座っていると通路の向こうに同じように1人の選手が座っている。ティーサーブの文字が見えたのでバイクメッセンジャーで有名な会社だとわかり、話しかけてみた。何と同じ大阪堺に近い岸和田市出身で、バイクメッセンジャーがやりたくて東京で就職したとの事だ。約200人のメッセンジャーの中でレースに参加するのは6人位だそうだ。しかし毎日、自転車通勤も含め100〜150km走っていると聞いてさすがに驚いた。
早朝から雨で嫌な気分だったがスタート地点には雨が降っておらず、トラックで運んだ自転車を受取る。3台のトラックから降ろされる自転車を1人1人が受取るのに時間がかなりかかった。
さてレースは豪雨の影響か、スタートが9時35分と10分以上遅れた。幸いスタート前は降っていなかったがまもなく雨が強くなり、豪雨の中のレースになった。道は川のようになり、アップダウンが続く中を沖縄本島の北端の辺戸岬を回るが、集団はバラバラになる。私も小集団で先頭交代をしながら追うがペースは上らず、トンネル内は油が浮いているのか後輪がスリップして恐ろしかった。
最大の登りである普久川ダムの登りが始まる頃には脚力は消耗。それでも時速10km程で登り、雨の中を細心の注意を払い十分に車間をとって下る。雨でブレーキが効かず、下りのスピードは50km台で60kmを超えない。それでも時々単独の転倒者を見かけた。しかしゴール30km手前、平良の関門で赤旗を振られてしまった。 完走させてくれと抗議する選手もいたが、スタートが遅れても交通規制の時間を守る為に競争を中止しなければならない。主催者の苦しい判断だと思った。
120kmの部は300人程の参加者で92名の完走者と3割の完走率は少ないが、私にはそこに入る脚力がなかったと認めるしかない。
来年は3割の完走率でも走り切る力をつけて参加し、もしそれが出来たら2年後の200kmの市民レースに参加したい。そのためには自己満足的に陥りやすい単独練習のほかに友人とのグループ練習で強度の高い練習を取り入れる事が来年に向けての課題だと思った次第である。  (中村博司)
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2005年11月12日

★2005年11月第2週

[11月13日 機材の向上で通勤サイクリングが楽しくなりました。]
(1)博物館便り
当館は他の博物館、美術館と同じく月曜日は休館だが先週7日(月)は臨時開館した。 ドイツの有力販売店のオーナー110名の団体で見学に来られるので対応した。
昨年ドイツとオランダを自転車体験視察したが、ドイツは本当に高級自転車が多く使われていて驚いたのは記憶に新しい。 シマノにとって大事なお客様である。また、このドイツ市場にシマノの商品を流通させるランゲ社の社長ベルナール・ランゲ氏は、当館の展示用に多くの自転車をプレゼントしていただいた。ベンツ、アウディー、ウィーン少年合唱団500年記念車などである。
もちろん学校の団体見学でどうしても月曜日にしか見学日を設定できない学校に対し便宜をはかる事もしている。多くの方に支えられてこの博物館は成り立っているので、規則を振り回す対応はしたくないと考えている。
話はドイツに戻るが、それにしても第2次大戦の敗戦から、共に奇跡と呼ばれた復興をなしとげたドイツと日本ではあるが、その豊かさの質が全く異なる印象を持つのはどうしてだろうか?
環境面から見ると、街中に緑を多く残して心安らぐ空間を大事にしているドイツと、経済至上主義で街中も郊外も開発し尽くしてしまう日本の都市形成の違いについて、一度考えてみたいものです。
(2)通勤サイクリング便り
夜の訪れが早まり、ライトなしでは走れなくなった。
自転車通勤30年の私とすれば、この30年はライトが本当に進化したと思う。
1970年代は普通のダイナモとライトに懐かしいアルプスのクイックエースという輪行車を使って、3km程を独身寮から会社へ走っていた。1976年に結婚して集合住宅の寮に変わり、距離も10km程に延びた。この頃は私が出演したTV番組の愛車(シュイン・パラマウント)で走った。乾電池のランプを使った。ただやたら電池の交換が多いので費用も手間もかかるし、ライト本体もよく壊れた。何よりも前を照らす力が弱かった。
1980年代前半は東京営業所に配属され、4階建ての営業所の上に住居があり大変便利だった。通勤時間は1分である。ただトラブルが発生した。腰痛が始まったのだ。原因は想像できた。自転車に乗らなくなったためだ。それで毎朝多摩川サイクリングロードを走り、家で汗を流してから仕事に行く事で腰痛はすぐに解消した。 やはり私には自転車通勤が必要だと痛感し、大阪に戻ったら自転車通勤を再開しようと考えた。
大阪で家を探す間の2年間は、寮から3kmの道を走った。その頃はスポルティーフを使っていた。700cのタイヤでリムドライブのダイナモを使っていた。このダイナモもあまり明るくなく、仕事を遅くまでして深夜に路上で寝そべっていた犬に乗り上げて転倒した事があった。犬も迷惑だったに違いないが、仕事疲れで前方に犬が寝ているのを予見する事もまた不可能だったように思う。
さて家は会社から15km〜20km離れていて、自転車通勤が楽しめそうな道路環境のある方向に捜した。大型ダンプや、交通量が多い道を走らなければならない方向を避けると、泉北ニュータウンしかないと思われた。幸いに光明池に土地の分譲があって、土地を買い家を建てた。もちろん自転車置場を作った。
1980年代後半から往復30kmをロードバイクで通勤サイクリングを始めたが、車輪は振れが出るしパンクが多く、マウンテンバイクにダイナモをつけて走った。泥除け付きの重いマウンテンバイクで坂道を立ちこぎで登っていたら、1990年中頃に膝を痛めてしまった。一時は歩くのも苦労したが、立ちこぎを止めて軽いギアで軽く回すようにして乗っていたら、徐々に回復した。一度はあきらめたレースも 2000年のツール ド おきなわに出場するようになってからロードバイクでの通勤になった。ハブダイナモは電池の交換も不要で、回転の負担も少なく、前方を明るく照らしてくれるし、タイヤも性能が飛躍的に良くなりパンクもほとんどしなくなった。シマノホィールを使うようになった車輪も振れもほとんどない。通勤サイクリングは昔に比べ格段にメンテナンスフリーになり、走る事だけを楽しめるようになった。そう考えると昔の自転車通勤って、結構大変だったんだと思えてきた。
自転車通勤30年の年月は私にとって、とても大きな活力となっているのを感じます。  (中村博司)

posted by bikemuse at 13:14| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2005年11月05日

★2005年11月第1週

[11月6日 車道を安全に走行するためにやるべきこと]
(1)博物館便り
11月3日(祝)は自転車ひろばまつりとロードバイクスクールを実施した。
自転車ひろばは平成6年11月にオープンした。その頃から「大阪秋のまつり」として、お祭で大阪を盛り上げる活動が始まり、当館も自転車ひろばにおいて「クラシック自転車のレプリカ試乗」を無料解放する日をひろばの周年行事として設けることにした。
11月3日にしたのはこの日が晴れの特異日として有名であり、アウトドアのイベントは雨が降ると中止せざるを得ないからだ。2・3年前は雨の日もあったが、おおむね天候には恵まれている。今年は雨は降らなかったが、秋の快晴とは言えず、利用者は200人程と今ひとつ伸びを欠いた。
ロードバイクスクールは昨今のロードバイク利用者の増加に対応して、今年からは奇数月に実施している。今年はこれが最後である。
7月に続いてシマノレーシングチームの阿部選手が、お手伝いに来てくれた。現役のレーサー、しかもシドニーオリンピック代表選手の登場に8人の参加者から多くの質問が飛び出して、いつもより芝生の上のミーティングの時間が長くなったが、参加した人には満足いただけたようだ。

(2)通勤サイクリング便り
ロードバイクスクールではトレーニングの時間や距離、食事、レース中の飲物などの質問が多かったが、道路を走る時の注意などの質問も出た。
自転車は車道の左端を走るのが道交法の原則だ。しかし阿部選手は路側帯の少し右、場合によって左車線の中央を走るとの事だ。これは左側に寄り過ぎると、左車線を走る自動車が選手の右側ギリギリを通行していくので大変危険になる。もし事故になれば選手はケガをするし、車も人身事故の責任を負うことでお互いに不幸になるとの判断だ。
私も通勤では路側帯の白線の右側を走っている。これはもし路上に穴や空き缶を発見したら左側に寄って回避できるからだ。もし左側ギリギリを走っていたら、右側、つまり車道に飛び出して回避が必要となり危険なのだ。また左端に駐車している車がある時などは必ず手信号で路側から左車線に入る事を合図することが安全につながる。
自転車を後方から追い抜こうとする車の運転手は、自転車が駐車車輌の右へいつ出てくるか判断をせまられる。 自転車が手信号で右へ出ると分かれば軽くブレーキを踏み、自転車がまた左に寄るのを待って追い抜ける。ところが自転車の手信号がないと運転手は「自動車が自転車が追い抜いた後に左車線に出るのかな」と判断して進行すると大変危険な状況が生まれる。
夜の訪れが毎日早まっている。 自転車の存在を早く車の運転手に知らせ、注意をうながす事でしか自転車利用者の安全は確保出来ない現実がある。
明るい色のジャジー、ヘルメット、リフレクター、ランプなど総動員して、安全に通勤サイクリングを楽しみましょう。
ロードバイクスクールで走った泉北ニュータウンの緑道を包む街路樹の紅葉はもう始まっていました。  (中村博司)

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