2005年11月12日

★2005年11月第2週

[11月13日 機材の向上で通勤サイクリングが楽しくなりました。]
(1)博物館便り
当館は他の博物館、美術館と同じく月曜日は休館だが先週7日(月)は臨時開館した。 ドイツの有力販売店のオーナー110名の団体で見学に来られるので対応した。
昨年ドイツとオランダを自転車体験視察したが、ドイツは本当に高級自転車が多く使われていて驚いたのは記憶に新しい。 シマノにとって大事なお客様である。また、このドイツ市場にシマノの商品を流通させるランゲ社の社長ベルナール・ランゲ氏は、当館の展示用に多くの自転車をプレゼントしていただいた。ベンツ、アウディー、ウィーン少年合唱団500年記念車などである。
もちろん学校の団体見学でどうしても月曜日にしか見学日を設定できない学校に対し便宜をはかる事もしている。多くの方に支えられてこの博物館は成り立っているので、規則を振り回す対応はしたくないと考えている。
話はドイツに戻るが、それにしても第2次大戦の敗戦から、共に奇跡と呼ばれた復興をなしとげたドイツと日本ではあるが、その豊かさの質が全く異なる印象を持つのはどうしてだろうか?
環境面から見ると、街中に緑を多く残して心安らぐ空間を大事にしているドイツと、経済至上主義で街中も郊外も開発し尽くしてしまう日本の都市形成の違いについて、一度考えてみたいものです。
(2)通勤サイクリング便り
夜の訪れが早まり、ライトなしでは走れなくなった。
自転車通勤30年の私とすれば、この30年はライトが本当に進化したと思う。
1970年代は普通のダイナモとライトに懐かしいアルプスのクイックエースという輪行車を使って、3km程を独身寮から会社へ走っていた。1976年に結婚して集合住宅の寮に変わり、距離も10km程に延びた。この頃は私が出演したTV番組の愛車(シュイン・パラマウント)で走った。乾電池のランプを使った。ただやたら電池の交換が多いので費用も手間もかかるし、ライト本体もよく壊れた。何よりも前を照らす力が弱かった。
1980年代前半は東京営業所に配属され、4階建ての営業所の上に住居があり大変便利だった。通勤時間は1分である。ただトラブルが発生した。腰痛が始まったのだ。原因は想像できた。自転車に乗らなくなったためだ。それで毎朝多摩川サイクリングロードを走り、家で汗を流してから仕事に行く事で腰痛はすぐに解消した。 やはり私には自転車通勤が必要だと痛感し、大阪に戻ったら自転車通勤を再開しようと考えた。
大阪で家を探す間の2年間は、寮から3kmの道を走った。その頃はスポルティーフを使っていた。700cのタイヤでリムドライブのダイナモを使っていた。このダイナモもあまり明るくなく、仕事を遅くまでして深夜に路上で寝そべっていた犬に乗り上げて転倒した事があった。犬も迷惑だったに違いないが、仕事疲れで前方に犬が寝ているのを予見する事もまた不可能だったように思う。
さて家は会社から15km〜20km離れていて、自転車通勤が楽しめそうな道路環境のある方向に捜した。大型ダンプや、交通量が多い道を走らなければならない方向を避けると、泉北ニュータウンしかないと思われた。幸いに光明池に土地の分譲があって、土地を買い家を建てた。もちろん自転車置場を作った。
1980年代後半から往復30kmをロードバイクで通勤サイクリングを始めたが、車輪は振れが出るしパンクが多く、マウンテンバイクにダイナモをつけて走った。泥除け付きの重いマウンテンバイクで坂道を立ちこぎで登っていたら、1990年中頃に膝を痛めてしまった。一時は歩くのも苦労したが、立ちこぎを止めて軽いギアで軽く回すようにして乗っていたら、徐々に回復した。一度はあきらめたレースも 2000年のツール ド おきなわに出場するようになってからロードバイクでの通勤になった。ハブダイナモは電池の交換も不要で、回転の負担も少なく、前方を明るく照らしてくれるし、タイヤも性能が飛躍的に良くなりパンクもほとんどしなくなった。シマノホィールを使うようになった車輪も振れもほとんどない。通勤サイクリングは昔に比べ格段にメンテナンスフリーになり、走る事だけを楽しめるようになった。そう考えると昔の自転車通勤って、結構大変だったんだと思えてきた。
自転車通勤30年の年月は私にとって、とても大きな活力となっているのを感じます。  (中村博司)



posted by bikemuse at 13:14| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする
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