(1)博物館便り
先週16日の朝日新聞に興味深い記事が出ていた。
『しのびよる「クルマ離れ」「デートの必需品」が「割高な移動手段」に』とタイトルがあり、若者中心に進むクルマ離れを特集した記事だった。
「クルマ社会」を「自動車が社会経済の重要な基盤・要素となる社会」と規定するならば、この現象は日本における「クルマ社会」の崩壊の始まりになると私は思う。
こうしたクルマ社会の崩壊は日本の道路行政にも大きな影響を与え、自動車中心の道作りは軽換を余儀なくされ、いずれ道路特定財源も一般会計への移行となると思う。しかしこれが即、自転車交通、自転車愛好者にとって期待している「自転車活用社会」の実現に向って大きく前進することを意味するものではない。
若者(特に男性)のクルマ離れは、公共交通機関が比較的充実した都心に住居を持つ人達に起こっている現象であって、20代30代の若い女性や、郊外、地方に住む人達に広がっているわけではない。
クルマを持たない人の理由は、1位「価格・維持費など経済的理由」、2位は「車庫がない」と「免許がない」、3位は「他の交通機関の方が便利」というもので、経済的理由が1位、利便性が2位となっている。つまりこうしたクルマを持たない人が、自転車に乗る可能性はそう多くない。特に経済的理由をあげた人が高級自転車に乗るとは考えにくい。
こう考えると自転車の社会的復権、つまり自転車に乗ることを誰もが権利として認められ、尊重されるためには、自転車に乗る意味をもっと社会に浸透させることが必要だ。「健康」「環境保全」「スポーツ」をもっと広くアピールしてこそ、自転車の復権は実現できると思う。自転車博物館の活動がさらに大きな意味を持つようになると思うし、ここ2〜3年の活動に全力をあげて取り組みたい。
(2)通勤サイクリング
毎日元気に走っている。日没時間が遅くなり、明るいうちに帰宅することもある。もうすぐ暖かい春が近いという気分で、もっと走りたい気分になってきた。
先週も私が道案内をつとめるイベント「健康サイクリング」の新しいコースの試走をした。朝に自宅を出て、遠回りして、目的地へ安全快適に走れる新しいルートを探して確認した。
健康サイクリングも毎年同じコースでは新鮮味が薄れてくる。私の大好きな「天野街道」という古道を走る事は1年に2回実施している。季節が変われば景色も変わる。しかしマンネリ化は避けられない。そこで、同じ天野街道を金剛寺へ走るのではなく、反対の方向へ走ると狭山池がある。この池の周りの遊歩道は約3kmあり、遠くが見えて景色も良いうえ、池の北には大阪府立の狭山池博物館があり、無料で見学できる。
狭山池は7世紀初め頃に生まれた日本最古のダム式ため池である。その歴史を紹介している。
実際に走ってみると天野街道は山の屋根にある道であり、池のある低地への下りは豪快だ。しかし戻りは厳しい上りとなる。一応車の通行が少ない道を発見できた。この道を4月の健康サイクリングに加えたいと思っている。(中村博司)

狭山池博物館の水庭。
両側から滝のように水が流れ出て水煙が立つ。その迫力はすごい。