2008年02月23日

★2008年2月第4週 

[ 2月24日 春が近づき、もっと走りたくなってきた。]
(1)博物館便り
先週16日の朝日新聞に興味深い記事が出ていた。
『しのびよる「クルマ離れ」「デートの必需品」が「割高な移動手段」に』とタイトルがあり、若者中心に進むクルマ離れを特集した記事だった。
「クルマ社会」を「自動車が社会経済の重要な基盤・要素となる社会」と規定するならば、この現象は日本における「クルマ社会」の崩壊の始まりになると私は思う。
こうしたクルマ社会の崩壊は日本の道路行政にも大きな影響を与え、自動車中心の道作りは軽換を余儀なくされ、いずれ道路特定財源も一般会計への移行となると思う。しかしこれが即、自転車交通、自転車愛好者にとって期待している「自転車活用社会」の実現に向って大きく前進することを意味するものではない。
若者(特に男性)のクルマ離れは、公共交通機関が比較的充実した都心に住居を持つ人達に起こっている現象であって、20代30代の若い女性や、郊外、地方に住む人達に広がっているわけではない。
クルマを持たない人の理由は、1位「価格・維持費など経済的理由」、2位は「車庫がない」と「免許がない」、3位は「他の交通機関の方が便利」というもので、経済的理由が1位、利便性が2位となっている。つまりこうしたクルマを持たない人が、自転車に乗る可能性はそう多くない。特に経済的理由をあげた人が高級自転車に乗るとは考えにくい。
こう考えると自転車の社会的復権、つまり自転車に乗ることを誰もが権利として認められ、尊重されるためには、自転車に乗る意味をもっと社会に浸透させることが必要だ。「健康」「環境保全」「スポーツ」をもっと広くアピールしてこそ、自転車の復権は実現できると思う。自転車博物館の活動がさらに大きな意味を持つようになると思うし、ここ2〜3年の活動に全力をあげて取り組みたい。

(2)通勤サイクリング
毎日元気に走っている。日没時間が遅くなり、明るいうちに帰宅することもある。もうすぐ暖かい春が近いという気分で、もっと走りたい気分になってきた。
先週も私が道案内をつとめるイベント「健康サイクリング」の新しいコースの試走をした。朝に自宅を出て、遠回りして、目的地へ安全快適に走れる新しいルートを探して確認した。
健康サイクリングも毎年同じコースでは新鮮味が薄れてくる。私の大好きな「天野街道」という古道を走る事は1年に2回実施している。季節が変われば景色も変わる。しかしマンネリ化は避けられない。そこで、同じ天野街道を金剛寺へ走るのではなく、反対の方向へ走ると狭山池がある。この池の周りの遊歩道は約3kmあり、遠くが見えて景色も良いうえ、池の北には大阪府立の狭山池博物館があり、無料で見学できる。
狭山池は7世紀初め頃に生まれた日本最古のダム式ため池である。その歴史を紹介している。
実際に走ってみると天野街道は山の屋根にある道であり、池のある低地への下りは豪快だ。しかし戻りは厳しい上りとなる。一応車の通行が少ない道を発見できた。この道を4月の健康サイクリングに加えたいと思っている。(中村博司)

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狭山池博物館の水庭。
両側から滝のように水が流れ出て水煙が立つ。その迫力はすごい。
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2008年02月16日

★2008年2月第3週

[ 2月17日 自転車の世界と異なる方と交流しました。]
(1)博物館便り

日本の駅ではいつもアナウンスが流れている。「○○行きの電車は○番線から出ます」「まもなく発車しますのでお急ぎ下さい」「列車が通過しますので、ご注意下さい」これらは、親切なサービスとも言えるが、多くの人は「やかましい」と感じているはずだ。
最近「ホスピタリティー」という言葉をよく聞くようになった。お客様の求めているであろうことを察して、心をこめて接するというような意味になるが、これはサービスとは異なるものだ。
サービスとは、多くのお客様に平等に一定の労力や物品を提供するものであり、ホスピタリーとは、状況に応じてお客様のニーズに対して、それぞれの対応を行う事になろうかと思う。これを日本語で言うと「もてなし」という言葉が適切かどうか私にはわからない。しかし、これからの時代に求められるものはホスピタリティーだと思う。しかしこれに対応するには、相手の求めるものを見抜く理解力と、必要な対応を考える豊かな知識と即決力など、サービス業に関わる者として多くの事を試される。
絶えまない努力と使命感に満ちた志を高く持ち、こうしたホスピタリティー能力を高めた博物館なる事を目指したいと私は思います。

(2)通勤サイクリング
先週14日は、東京の共同通信社で連載を執筆している方々が集まる懇親会が開かれるので、よかったら参加して下さいと声がかかったので出席した。
ロスァンゼルスオリンピックにマラソンで出場し、今は陸上競技のみならず、健康スポーツなど多方面で活躍しているスポーツジャーナリストの増田明美さんや、長野、ソルトレークシティー、トリノと3度のオリンピックのショートトラックに出場した勅使川原郁恵さんなども参加していた。
私にも短いスピーチの機会を与えていただいたので、自転車のまち堺の紹介や自転車博物館と私の活動を話させてもらった。
せっかく大阪から来たのだから「大阪のオバチャン」に負けまいと、「大阪のオッチャン」としてスポーツのイラストレーターの方、囲碁の担当記者の方など、全く異なる世界の方と話した。スケートの勅使川原さんは、スケートと自転車の上半身を安定させて下半身の力を十分に発揮する事の共通点で話が盛り上がった。
7月下旬のシマノバイカーズの事も知っていて、今年参加してみようかとも言ってくれ、嬉しかった。増田さんは自己紹介したら、私の連載を是非読んでみますと約束してくれた。もう少し話したかったが、終了時間となり残念だった。(中村博司)

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2008年02月09日

★2008年2月第2週

[ 2月10日 自転車に乗る感動体験を大事にしたい。]
(1)博物館便り
博物館の入館者数は季節で大きく変動する。8月と10月は4 , 000人を超えるが、3 , 000人を超えるのは4月だけで、その他の月は2 , 000人以下である。特に12月から2月は入館者が1 , 000人を切る事もめずらしくない。しかしこの一番少ない時期に海外からのお客様を迎える機会があった。日本でもそうだが、真冬に自転車を買う人は少ない。その時期に販売店は時間がとりやすい。欧米の販売店の方々が団体で当館を訪問してくれた。
団体で来られた方には、まず多目的ホールで当館の活動を紹介するプレゼンテーションを行い、そのあと「夢・自転車」の映像12分を見てもらってから館内を自由に見学してもらうのだ。実はこの活動紹介のプレゼンテーションの前に、私の自己紹介を短く行っている。自転車レースに打ち込み、全日本ロードで優勝し、ニュージーランドに日本代表チームで参加した。自転車が好きでシマノに入り、1973年には、誕生したデュラエースと共にヨーロッパのプロレース、ツール・ド・フランス等に参加した事を写真で見せた。若い頃の私の写真を指差して「これは私だ」とジェスチャーをすると大うけである。販売店の方々も自転車が好きだと思う。レースに打ち込んだ人も多いはずだ。そうした本気で、全力で自転車に取組んだという共通体験を持つ者の心の交流が拍手をしてくれたのかと思う。
言葉は十分に通じなくても、心をこめて歓迎する。同じ自転車の世界で生きる者としての共通体験が国境を越えていく。博物館を含め、仕事や人との交流とはそういうものだとも思う。自転車に乗る事を通して生まれる感動の共通体験こそが、自転車ファンを増していけるのだと信じて活動しているのです。

08.2-2jpg.jpg1973年のシマノフランドリアチーム。中央の黒髪!が私です。






(2)通勤サイクリング
毎日寒さが厳しい中を走っています。近年は「地球温暖化」という言葉が耳に焼き付いて、冬は暖冬という思い込みがあり、気持ち・気分的に緊張感が緩んだためか、寒さが身にしみる。
思い返せば子供の頃はもっと寒かった。私の生まれ育った京都の嵯峨野は、毎日のように水が凍結していた。路面も凍って、通学自転車でよく転びもした。そんな中を学生服の上に薄いウィンドブレーカー1枚で走っていた。今は厚い冬用ジャージーに、耳を包み込むキャップとフリースのマスクを着用し、ウィンドブレーカーを2枚重ねている。シューズは足首をカバーする SPD シューズまで使う。
昔の冬に比べれば、本当に冬に走ることが楽になった。おかげで家に帰り着くと汗びっしょりである。ただ冬の雨はあまり楽しいものではない。先日2月3日(日)はマウンテンバイクツーリングを予定し、何度もコースを試走して準備万全と思っていたが、雪と雨で中止となってしまった。一応スタート地点の 堺市 公園墓地へ行き、雪解け水の水溜りの中でも走るという人が来れば走ろうと待機したが、さすがに誰も来なかった。私も内心はほっとしたのでした。3月2日(日)に同じコースを走るマウンテンバイクツーリングを実施します。是非御参加下さい。詳細は当館の HP を見て下さい。(中村博司)

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2008年02月01日

★2008年2月第1週

[ 2月3日 自転車ひろばの改修工事を実施しました。]
(1)博物館便り
自転車博物館には体験学習の場として、隣接する大仙公園の中に自転車ひろばがある。博物館が開設された1992年4月から2年半後の1994年11月にオープンした。この時はシマノ宣伝課にいて、手伝った。自転車ひろばに立つ自転車格納庫は私の設計でもある。
その後ひろばでの自転車乗り方教室の人気が高まり、1回の受講者を20人から30人に増やすため、ひろばを1.5倍の広さにしたのは2000年だった。
それから7年がたち、ひろばの表土が雨で流されるなどで荒れてきたので、手直し工事を行った。走路の凸凹が激しい部分を削り取り、新しい真砂土とコンクリートをまぜて走路に敷く作業を行った。
今は真冬のため、ひろばの利用者は少ないので、4日程の工事を行ったのである。春になると初心者スクールの申込みが増える。4月〜5月になると小学生が社会見学で博物館を訪問し、自転車の歴史を学び、そのあとこのひろばでクラシック自転車のレプリカに乗り、楽しく学ぶためにやってくる。

08.2-1-1jpg.jpg凸凹を削り取った走路に真砂土とコンクリートを混ぜたものを敷きつめる。






(2)通勤サイクリング
私が生まれたのは1948年(昭和23年)で、いわゆる戦後のベビーブーム(1947〜1949年)の真中に生を受けた。そして今年は60年目にあたり、定年というものを迎える。
私の場合は来年3月がその時期だが、同じ1948年に生まれても3月末までに生まれた人は今年の3月だ。私の友人というより、先輩にあたる西野さんがシマノを去るので、先週はその送別会が開かれ参加した。
シマノのテクニカルサポート活動の中心には、いつも西野さんがいたので、シマノのイベントや国内の主要レースに参加した人は知っている人も多いはずだ。メカニックトラブルを治してもらい、レースに出場できた人は数えきれないと思う。私も博物館へ来る前には、短い時間だったが西野さんと組んでテクニカルサポートの仕事をしたことがあった。もっと昔の話をすれば、私が入社した1972年8月に最初に配属されたのは技術部の試作課という部署だった。
試作課はシマノのテストライダーが所属する部署で、まだ走れる新入社員ということで配属された。右と左をわからぬ新人だった私を指導して仕事を教えて下さったのは西野さんだった。当時シマノレーシングチームはまだ結成されておらず、社内の有志がサイクリング部というクラブ活動の一つとしてレースにも参加していた。西野さんはそのクラブのエースだった。
試作品が出来ると、私たちは自分のレーサーに組みつけて、毎日のように外へ走りにいった。大好きな自転車に乗って走っていれば給料がもらえる夢のような部署で、社会人になって、嬉しくてしかたがなかった時期だった。
私も全日本で優勝してから2年後なので、脚力はそれなりのものは維持していたはずだが、西野さんは向かい風の中をいつも先頭で引き続ける脚力を持っていて、スタミナではかなわなかった。
1973年に私はベルギーのフランドリアチームに派遣され、それ以降は仕事の面では離れたが、昔のチームメイトとして、いろんな局面で助けてもらった。私たち団塊の世代の人間として、定年後の人生をより豊かにしたいという気持ちでは私も同じだが、彼は会社を離れた所で過ごす事を選んだ。私はまだ博物館でやりたい事があるので、あと数年は博物館で働きたいと考えている。(中村博司)

08.2-1jpg.jpg2007年のツール・ド・おきなわ名護市民会館前。 右が西野さん、左は西平さん。
36年前のサイクリングクラブのチームメイトだ。
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