[ 11月15日 ツール・ド・おきなわ85kmは完走できませんでした。]
(1)博物館便り11月28日(土)午後4時から1時間位東京で講演することになった。
8月に「自転車先進国デンマークの現状と未来」を聞きに行った「サイクルスクエア北参道」が会場だ。
テーマは任されたので「ロードレーサーの歴史」ということにした。これは現在当館で開催中の特別展のテーマであり、その特別展のポスターも来てくれた人にプレゼントする。そのまま話をすると堅い話になるので、話の中心は1973年にDURA ACEがツールに参戦した時、私もチームのメカニックとしてツールの全ステージの現場にいた時の話をしたいと考えている。その時ベルギーのフランドリアチームには、世界選手権で2回勝ったフレディー・マルテンス氏や東京オリンピックの銅メダリストでドイツテレコムチームの監督もしたゴッドフロート氏もいた。そんな彼らの話、2年前に彼らと再会した時の話などしたいと考えている。

フレディー・マルテンス氏と2007年2月に再会した時に写した写真である。
(2)通勤サイクリング
ツール・ドおきなわには2000年から10年間で7回出場している。2000年と2001年に50km、2002年と2003年に80km、2005年の120km、2007年の200kmにエントリーした。60歳以上は参加できない200kmについては59歳の時に背伸びしてエントリーしたが、90km地点でリタイヤした。今回も85kmの距離の半分を走った所で無念のリタイヤとなった。
85kmにはエントリーは418人で、完走者は104人で完走率が24.8%と通常の完走率70〜80%に比べ極端に低かったことがその理由だ。これはスタート予定時間が、他のレースのトラブルの影響を受けて遅れたが、チェックポイントの時間は警察との道路使用許可の関係で変更されなかったのである。辺戸岬の85kmレースのスタート予定時間は9時間43分頃に予定されていたが、実際にスタートしたのは10時33分頃で、50分遅れてスタート。
400人のスタートなので、先頭がスタートしてから順々走り出し、シマノセールスの長谷部氏と最後尾からついていく。
85kmは集団の前方に走る人を除けば、脚力はあってもレースに慣れていない人が多い。後方に陣取っていると、前方の選手に置いていかれるので、2〜3列で走る選手をパスして前方へ行く。しかし見通しの良い海岸沿いで確認すると、1km以上の列になっている。スタート地点から20km弱で普久川ダムへの激坂を上るので、できるだけ順位を上げる。約100人追い抜いた。
普久川ダムでもスピードが遅い選手を次々に抜いて、100人以上追い抜いた。130kmや200kmの遅れた選手も含まれている。この85kmは完走率が高いので、完走できると確信していたので、普久川ダムを越えて下り坂も安全なスピードで下ると、次々に追いつかれるが、またアップダウンのコースが続き、上り坂で50人位追い抜いて高江のチェックポイントに来たら12時ちょうどまでのタイムオーバーで、失格を宣言されてしまった。時計は12時3分であり、こんなことならもっとスタート時の位置を前に陣取っていれば間違いなく完走できたのにと後悔したが、万事休すである。たぶん85kmでは120〜130位ぐらいを走っていたと思われる。このあとゼッケンを外し、ゴールまで車がほとんど走らない道を快適に走った。沖縄の青い空と海、レースの緊張感から解放され、サイクリングを楽しみました。ロードバイクの魅力は、スピードある快走と集団走行にある。1人で30km/hしか出ない人が4人も集まれば40km/hで1時間も走行可能だ。そんな空気抵抗を少なくし、チームワーク良く走る面白さを多くの人に伝えるため何をすべきか、博物館のイベントの中で考えて行きたい。(中村博司)

スタート前にシマノセールスの長谷部氏と記念写真。この時は完走できると信じ、最後尾からスタートしたのだ。
posted by bikemuse at 13:12|
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