2007年11月17日

2007年11月第3週

[ 11月18日 200kmのレースは、私の脚力で参加できるレベルではなかった。]
(1)博物館便り
ツール・ド・おきなわに行ってきた。10日(土)には「スポーツ用自転車の乗用環境改善のためのシンポジウム」が行われ、私は、自転車ツーキニストの疋田智氏と沖縄と東京で自転車で走り続けている小磯恵美子さんと共にパネリストとして話をさせてもらった。コーディネーターは、このイベントのアナウンサーも担当している元レーサーの飯島美和さんだ。
3人のパネリストがそれぞれ5〜15分程でプレゼンテーションをした。私は自転車博物館の活動と、堺市における自転車のまちづくりの活動を報告した。
小磯さんは沖縄と東京の自転車乗用環境の違いを報告し、東京では自転車で走るのが怖いという話をした。
疋田氏は欧州の自転車社会の乗用環境や、使われている自転車の紹介、その対比として日本のママチャリが世の中にあふれる社会的理由と、車の利用を少なくするためには、長い距離を走れる本当の自転車が必要で、スピードが出ないママチャリはダメ、といった報告があった。会場からヘルメットの必要性について質問があり、疋田氏は自動車にアピールして安全性を高める効用、私は手足の骨折は1〜2ヶ月もあれば治るが、頭部のショックは致命傷や障害が残る可能性が高いので、ヘルメット着用の必要性を説明した。
最後に私は「沖縄は日本の中では道路の整備状況や自動車のマナーも相対的に良く、スポーツバイクの天国のような所だ。このツールドおきなわを通して、日本にスポーツバイク文化を広めてほしいし、そのためにもこのイベントにはずっと参加したい」と話した。
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シンポジウムの様子。
青いシャツを着ているのが私です。





07.11-3-1.jpgシマノ、ドリンキングのチームジャージーに身を固めた7人の侍レーサー。






(2)通勤サイクリング
ツール・ド・おきなわ市民レース200kmに出場し、最初で最後の挑戦をしてきた。
参加者は326人で、前年の263人に比べ24%増加して、スタート地点へ行くのが遅くなって、最後尾からのスタートとなってしまった。シマノ ドリンキングの仲間が待ていてくれたので、7人で記念写真を撮った。
私のように携帯電話とデジカメを持って走る参加者は少ないはずだ。300人超のスタートとなると、最後尾が動くのに1分位待ったような気がした。最初は30km位のゆっくりスタートだったが、まもなく前でアタックがかかったようで、スピードが上り、40km後半、50km近いスピードとなる。風が強く、大集団の中にいても横風が来たり、道の幅が狭くなる所ではスピードが急に遅くなるので、再びスピードが上るたびに腰を上げて、立こぎで集団を追う。
審判のオートバイが18の文字を書いたボードを見せている。誰かが逃げを打ち、大集団に18秒差をつけているのだ。そして美ら海水族館のある海洋公園前の長い登り坂で、集団から少し遅れ、また下り坂で追いつくという走行になり、30km地点で集団から完全に遅れた。後方から小集団が来たので、そのグループで大集団を追走するが、海岸線を北上する道に入ると突風のような向い風が吹付けて、脚力は消耗し先頭交代することが出来ず再び遅れて、さらに後方から来る小集団で走る。約70km走って、いよいよ普久川ダムへの長い登り坂に入り、何とか上り切った関門で、タイムオーバーのためリタイヤとなった。約3時間で82km走っていた。ここでコース規制が解除されるまで2時間以上待って、バスでスタート地点へ戻った。自力で走る事は警察から規制されているのだ。2台の大型トレーラーにレーサーを積み、バス2台で多くのリタイヤして選手達と戻った。このような収容車が用意され、レースは開催されている。自分の実力以上のクラスに出場することは主催者に迷惑をかける結果となる。来年からは60歳で200kmにエントリーできないのでレベルを85kmに落として、確実に完走できるクラスで上位を狙う走りをしたいと思う。(中村博司)




posted by bikemuse at 13:01| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする
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